【読書】立花隆「宇宙からの帰還」

雑記

立花隆さんについて

著書の立花隆さんは「知の巨人」と称されていました。それは、立花さんが旺盛な好奇心を持っていて、精力的で緻密な取材を行いながら膨大な情報・データを収集し、それらの分析を通じて様々な事象に関する詳細な解説を行った偉大なジャーナリストであったからでしょう。

「宇宙からの帰還」は、立花さんが昭和56年に「中央公論」で発表し、昭和58年に単行本、昭和60年に文庫本として発刊された本です。ちょうど私が大学生だった頃です。

本の概要

本の内容は、実際に宇宙空間に行ったアメリカの宇宙飛行士たち(アストロノーツ)に立花さんが取材を行い、それぞれの人々が宇宙で体験した出来事や考えたことなど、通常のニュースやNASAの報告では世間に伝えられなかった興味深い内容を詳細に描いたものです。

人間が「宇宙に行く」ということの凄さ

Wakamaro
Wakamaro

まず本の冒頭では、“「宇宙に行く」とはどのような出来事か”、ということが解説されています。

この本が執筆された時点で実際に宇宙空間に行った事がある人間は、百人をほんのちょっと越した程度であり、「百七十万年に及ぶ人類の歴史の中で、ただこれだけの人たちが、地球環境の外に出た経験を持つ。」と書かれています。

そして、この文の直後に書かれた内容が立花さんの取材力の凄さと分析・解説の正確さを示すよい例だと感じます。

つまり、立花さんはその後に「いや、正確にいえば、彼らも地球環境の外には出ていない。」と続けて、「正確に表現すると彼らは、『宇宙船』と『宇宙服』の内部に人工的な地球環境を閉じ込め宇宙に持参したのだ」ということや、「生身の人間は宇宙の環境下(=地球環境の外)では生きていけない」ことを解説します。

そしてそれらの根拠となる地球環境と宇宙環境の具体的な違いを述べるとともに、実際に宇宙に行くために必要なことを可能な限り正確・具体的に示していきます。

アポロ11号によって人類が始めて月面に足を踏み入れたのは、昭和44年7月でした。小学生だった私もテレビのニュースで月面着陸の様子などを見た記憶があります。

昭和44年といえば、ちょうど日本の高度経済成長期の後半でした(その翌年が大阪万博開催の年)。

その当時すでに、日本では道路に多くの車が行き交い、飛行機や新幹線などでの移動もごく普通のことに感じられていました。

Wakamaro
Wakamaro

子供だった私は、人間は科学の力でどんなことも簡単にできると考え、月に行けるのも当たり前だろうと思っていました。

しかし、大学生になって「宇宙からの帰還」の冒頭を読んだ時に、「人間が宇宙に行く」ためには、どれほど膨大な科学的知見とそれぞれを緻密に組み合わせる技術が必要とされていたのか、そして人間が宇宙に行くことが、どれほど困難で凄い出来事であったのか、ということに初めて気づかされたのでした。

それはまさに衝撃に近い感覚でした。具体的な例を挙げると「月に向かう宇宙船は、秒速10.9キロから1キロ(時々刻々変わる)のスピードで進行しているから」という一文を読んだ時です。

「秒速10.9キロ」って時速だと約39,000キロ!!?、1秒で新宿から吉祥寺ぐらいまで行けるよね?、、歩くと2時間以上かかるのに、、。

といった感じで感動し、その後は同様な感動、驚きと発見が次々と続いて、一気に最後まで読み切りました。

その中には「宇宙ホタル」や「”flicker-flash phenomenon”(チカチカピカピカ現象)」など、宇宙空間に行った人間でなくては体験できない科学的な現象であるけれど、ニュースなどではほとんど報道されなかった現象も含まれています。

また月に向かう途中のトラブルによって月面着陸を中止し、無事に地球に戻ってきた「アポロ13号」で起こった出来事についても詳細に解説されています。

少しでもミスをすれば全員の命が失われてもおかしくなかった状況で、彼らがどのようにして地球に帰還できたかを(地上のスタッフのもの凄い努力も含めて)、事細かく解説されているのも必読です。

宇宙に行った人間の内的変化

そして、感動したのは上述のような科学的内容だけではありませんでした。

それは、宇宙に行った人間が感じる宇宙空間の特異性や、宇宙から地球を見るという極めて特異な体験をした宇宙飛行士の内面に起きた変化に関する記述、すなわち精神的あるいは哲学的な内容にも大きな驚きを感じ、目を開かれたような感覚を受けたのでした。

人間が地上で「当たり前」と思っている概念が宇宙では全く意味をなさない場合があります。一例として、上・下、縦・横といった概念は、重力がある地球上(あるいは月面上)で成立するだけで、宇宙空間ではたとえ宇宙船の中でも成立しません。

宇宙空間で(宇宙船の中でも)人間は任意の方向に頭を向けて静止することが可能なので、他人と共通の「上・下、縦・横」といった方向はありません。

このことについては、実際に宇宙に行った宇宙飛行士でさえ、テレビ番組で自分の宇宙体験を語る際に、何度も「上」とか「下」という表現を使って説明したため、その時に同席したバックミンスター・フラー氏(=”宇宙船地球号”という概念を初めて提出した、現代のレオナルド・ダビンチと呼ばれた知的巨人)から「あんたはまだまだ地球ショーヴィニスト(排他的狂信的愛国主義者)だね」といってからかわれたそうです。

そしてフラー氏は、宇宙空間では「上」「下」という方位づけは有効ではなく、有効なのは「内側に」「外側に」という方位づけのみであろう、といって、宇宙飛行士に次のような詩を示したそうです。

Environment to each must be
“All that is excepting me”
Universe in turn must be
“All that is including me”
The only difference between environment and universe is me…….
The observer, doer, thinker, lover, enjoyer


それぞれの人にとって環境とは、
「私を除いて存在する全て」
であるに違いない。
それに対して宇宙は、
「私を含んで存在する全て」
であるに違いない。
環境と宇宙の間のたった一つのちがいは、私……
見る人、為す人、考える人、愛する人、受ける人である私

本書の中でさらに興味深かったのは、多くの宇宙飛行士が公式なインタビュー等ではほとんど語らなかった、内的な変化(精神的な変化)にかかわる内容でした。

つまり「人間だけでなく『生命』にとって『死の世界』である、宇宙空間から地球を眺めた宇宙飛行士の多くは、少なからず『神』の存在を意識するようになった」という内容です。

これは必ずしも特定の「宗教」の神ではなく、既成のどのような宗教の神をも超えた宇宙の美しさや調和性を形作った「神」の存在、を意識するようになった宇宙飛行士が複数いたということです。

当時宇宙に行ったアストロノーツは、全員いわゆる「理系」の人でした。おそらく、世の中で起きている出来事は科学によって説明できる、という基本的な考え方を持つ人なのではないかと想像されますが、宇宙に行った後には内的な変化が生じるようです。

Wakamaro
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立花氏がインタビューをした複数の宇宙飛行士は、地球に帰還した後に上述のような一種の宗教心を持つようになったことを述べています。

その中の一人は、立花氏から「宗教と科学」について問われると、

「科学にできることは、さまざまの事象がいかにして生起するかを説明することだけだ」と答え、

「説明というのは、実はあるレベルの無知を別のレベルの無知に置き換えることでしかない」、つまり「たとえばある現象がなぜ起こるかを物質レベルで説明する。さらに、それはいかにしてと問われたときには分子レベル、さらに問いを重ねられれば今度は原子レベル、次には素粒子レベルの説明がなされる」そして、「それ以上の問いには現代物理学は答えられず無知である」、と答えています。

科学はいつも『なぜ』という問いかけを『いかにして』に置きかえて、説明をひねり出してきた。根源的な『なぜ』、存在論的な『なぜ』に科学は答えることが出来ない」ため、「科学の根本的限界はここにある」と説明し、「科学が根源的な『なぜ』に答えることができないからこそ、宗教の存立の余地がある」と答えました。

しかし、彼は「だからといって既成宗教の教義を信じているわけではなく、自分は、根源的な『なぜ』には答えられないという積極的な『不可知論者』である」という事を述べています。

宇宙空間から地球を見ると、果てしなく広がっている宇宙空間の中で、自分がいる宇宙船の中と遠くに青く輝いて見える地球にだけ「生命」が存在していることを実感するそうです。

ある宇宙飛行士は、「地球の生命にとって自分の生命は無に等しい存在かもしれないが、自分の生命にとっては広大な宇宙の中で地球の生命のみが唯一のより所であることを強く感じた」、といっています。

また、地球の青さ(美しさ)は、写真では伝えることができない、と複数の宇宙飛行士が話しています。

これまでに誰も見ることができなかったような光景を目の当たりにした宇宙飛行士が、一種の宗教心を持つのは自然なことのようにも思われます。

「理系」と「文系」

ところで著者の立花さんは、大学時代は「文系」の方だったようですが、この本の内容や他の著書の内容を見る限り、その考え方などは明らかに「理系」の方のように思われます。

ただし他人に科学的な内容を分かりやすく伝えるためには、「文系」の素養も必要であり、当然立花さんはその能力も高かったと思います。

この「文系・理系」に関する記述は、「宇宙からの帰還」の中でも解説があります。おそらく立花さんは「文系・理系」の両方の素養と高い能力を持つことで、ジャーナリストとして確固たる地位を築かれたのでしょう。

「宇宙からの帰還」の内容については、語り始めるとキリがなくなりそうです。ですから、他の記事の中でも折に触れて引用していきたいと思います。

「宇宙からの帰還」は40年近く前に書かれた本ですが、今読み返しても新しい発見がある本です。まだ読んだことが無ければ、是非一読をお勧めします

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