Wakamaroの「プロフィール」にも記しましたが、小学校の頃、近所に「三船プロダクション」の撮影所が出来ました。
昭和41年に完成したこの施設は、映画俳優の三船敏郎さんが世田谷区成城に建設した、時代劇撮影用の大きなスタジオです。
🔗三船プロダクション:Weblio
この撮影所は当時「東京で唯一時代劇が撮れるスタジオ」といわれたように、世田谷区から調布市にかけての広大な土地を有し、世田谷区側にはセットを建てられるスタジオが3棟、江戸時代の通り、川端、長屋が作られていて、バス通りの向こうにある調布市側には長屋門を含むオープンセットが建っていました(下の写真)。
小学生時代のWakamaroは、しばしば友達と一緒にこの撮影所に入り込み、チャンバラごっこ、かくれんぼ、などなどをする場所として利用し、大いに楽しませていただきました。
幸いなことに、三船社長の意向であったのか入り口は常にオープンで、特に入場制限などはなかったと記憶しています (^0^)。
三船さんは侠気がある一方で、実は繊細で他人に気を遣う一面もあったようです。
また、とても掃除好きで、朝、誰よりも早く撮影所に来て掃除をしていたといいます。
ある撮影スタッフの方は、「毎朝掃除のおじさんに挨拶をしていたが、ある日トイレで一緒になり話しかけようとおじさんの顔を見ると、いつも帽子をかぶっているので気がつかなかったが、三船敏郎そのひとだったのだ。」と回想されています(下記リンク参照)。
🔗【三船プロの青春】ー嵐を呼ぶライトマンーより
Wakamaroはこの撮影所内で、俳優として映画を撮影中の三船さんを何度か拝見していますが、もしかすると、撮影所内で遊んでいたときにも「帽子をかぶったおじさん」に何度か遭遇していたのかもしれません。
江戸の街のオープンセットで遊んでいた際に、スタッフらしき人に出会っても、怒られたり、声をかけられたりした記憶は無いので、きっと暖かく見守っていただいていたのでは?と勝手な想像をしています。
撮影所内には時代劇撮影用の馬も飼われていて、時々、スタッフの方が手綱を引いて近所を散歩させていました。
その当時でも、都内で馬が歩いているのをみることは珍しかったと思います。道路には馬糞が落ちていたりしましたが(^_^;)、大らかな時代だったので、近所からの苦情などは特に無かったのではないでしょうか。
Wakamaroが小学生だった昭和40年代は、東京ディズニーランドもユニバーサル・スタジオ・ジャパンもない時代です。
その当時に世田谷近辺でこれらに類する場所といえば、小田急沿線にあった「向ヶ丘遊園地」か「よみうりランド」ぐらいでした。
そのような時代に、家から歩いて行けるところに江戸の街があり、しかもしばしば映画やテレビ番組の撮影が行われていて、有名人を身近に見ることができた「三船プロダクション」の撮影所は、今考えると、とても贅沢で特別な場所でした。
【おすすめ】:「七人の侍」は、三船敏郎さんの魅力が沢山詰めこまれた昭和の映画です。
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