海と宇宙の共通点とは?
現代人は海と宇宙がそれぞれ全く異なった環境であることを知っています。すなわち「海」は水(海水)で満たされた場所ですが、「宇宙」は真空の場所です。
一方で人間はかなり昔から、これら2つの場所に何かしらの共通点を感じていたようです。
例えば奈良時代に編纂された、現存する我が国最古の歌集である「万葉集 巻七」の冒頭には、「天の海に雲の波立ち月の船 星の林に漕ぎ隠る見ゆ」(柿本朝臣人麻呂)という歌があります。
🔗万葉集入門
この歌は「天の海に雲の波が立ち、月の船が星の林に漕ぎ隠れていくのが見えるよ」という内容で、「天」を「海」、「雲」を「波」、「月」を「船」、「星」を「林」に見立てて詠んだ壮大な一首であるとされています。
さらに近代でも海と宇宙に共通する事柄を見つけることができます。
例えば人が宇宙に行くために使う乗り物は、「宇宙船」(spaceship)と呼ばれています。
そういえば、私(Wakamaro)が子供時代に愛読していた、松本零士さんの描いた漫画「宇宙戦艦ヤマト」や、「キャプテン・ハーロック」に出てくる、宇宙戦艦「ヤマト」や「アルカディア号」は形からしてほとんどそのまま「船」でした。
上記の万葉集の歌でも「月」を「船」に見立てていますが、どうやら海と宇宙のどちらでも人が移動するための乗り物を「船」と呼ぶのは、昔も今も同じようです。
冒頭に述べたように現代人は科学的な情報にもとづいて海と宇宙の違いを理解しています。その一方で、”海も宇宙も生身の人間が生きていくことができない過酷な環境”という共通点があることも知っています。
つまり「海」(水中)においても「宇宙」(真空中)においても人間は呼吸すらできず、生身のままでこれらの環境下で生活をすることは不可能なことを、現代の人間は理解しています。
では昔の人間はこのような共通点を知っていたのでしょうか?
まず海について考えてみましょう。海と陸上とは「海岸線」で接しているため、陸に住む人間は昔から容易に海に近づくことができたはずです。
実際に、海の近くに住む人間は古来から海の生物(魚や貝など)を取って食べ物として利用してきました。それは日本各地の沿岸に残されている遺跡に「貝塚」と呼ばれる場所があることでも明らかです。
🔗貝塚 – Wikipedia
だからこそ(=容易に近づけたからこそ)、海が人間にとって過酷な環境であることは昔から十分に理解されていたでしょう。
前述のように生身の人間は海水中で呼吸をすることができません。さらに季節や場所によっては低温による身体へのダメージも加わります。たしかに船を使えば海の上を安全に移動する事が可能ですが、船から落ちて海水中に足を踏み入れてしまえば、すなわち死を意味します(=板子一枚下は地獄)。
このように人間にとって海が非常に危険な場所であることは、本能的な感覚も含めて昔から理解されていたと考えて良いでしょう。Wakamaroが幼い頃に持っていた海への印象(🔗ブログ内の記事:初めて見た海の記憶)も、人間が本能的に持つ海への恐れだったのかもしれません。
それでは宇宙についてはどうでしょうか?
人間が宇宙へ行けるようになったのは近代以降です。それ以前の人間は、どんなに近づこうと努力しても常に遠い場所であり続ける宇宙を、ただひたすら遠くから眺めていることしかできませんでした。ですから宇宙の環境についての情報は全く手に入れることはできず、ただ想像をめぐらせるのみだったはずです。
そのため宇宙環境の危険性については、その有無すら考えることもできなかったでしょう。ただ陸上からの距離的な問題によって(=遠すぎてアクセス不可能なため)、近づこうとしても近づくことができない場所、つまり、人間が(物理的に)足を踏み入れることができない場所という認識はあったと考えてもよいのではないでしょうか。
一方で天体(太陽・月・星)の動きに関しては、遠く離れた陸上からでも継続的に長期間の観察が可能であり、古代文明(例えばマヤ文明など)でも、詳細な観測データに基づく「暦」が作られていたりします。
🔗マヤ文明の驚くべき天体観測と暦の話 『古代文明と星空の謎』
いずれにせよ昔の人は、海と宇宙の環境の共通性について、現代人が持つようなレベルでの理解はできなかったはずです。
もし昔の人が海と宇宙に共通する何かを感じていたとするなら、それはおそらく文字通り感覚的なものだったと思われます。
例えば視界が良い夜に下の写真のような光景を見た人間が、海と宇宙が持つ共通性を感覚的に理解したとしても不思議ではないように思います。
つまり視覚的には、宇宙が遥か彼方の水平線からぐるりと自分を取り囲むように広がっているように見えるので、海と宇宙が手の届かない遙か彼方でつながっているように感じるのではないでしょうか。場合によっては、月が海面に映ってみえることもありえます。
日本には『枯山水』という庭園があります。禅文化の象徴とされているこの「枯山水」は、平安時代に始まり、室町時代に現在残っているような枯山水の庭園が完成したといわれています。
広い土地や水を必要とする『池泉式庭園』とは異なり、石と砂(および苔)のみで山水を表し、石の配置や組み合わせによって山や島、砂の模様によってうねりや渦巻き波頭など急流の川面や大海の荒波の表情を、それぞれ表現しています。
遠くからしか眺めることができない海・山・宇宙を身近に置き、それらを広縁や室内から眺めながら瞑想し仏教的な世界観や宇宙観に想いをはせていたのでしょう。
つまり昔の人は、両者とも遙か遠くでつながっていて、どちらも”人間が足を踏み入れることができない場所”という共通性(共通の神秘性?)があることを認識していたのではないでしょうか。
この記事の冒頭で示した万葉集の歌も、作者が月夜にこのような景色に出会い、宇宙を海に見立てて詠んだものかもしれません。
そして現代においても、人間が海上を移動するための乗り物を示す「船」という言葉が、宇宙を移動する乗り物の呼び名「宇宙船」に使われているのは、「船と宇宙船のどちらも『人間が足を踏み入れることができない危険な場所』で安全に移動するための乗り物」、という感覚的にも科学的にも概ね一致する両者の共通点にもとづいているためではないでしょうか。
海と宇宙の研究
「海その”i”」の記事 “「海その”i”」とは?(このブログのメインテーマ)” の中で私は、「海の研究」は、これからさらにその重要性を増していく研究分野である、と述べました。
そして、それを示す図の中で、今後研究が進むべき方向として「海洋と宇宙」と書きました。
その理由は海と宇宙の研究上の共通性のためです。ここでの「共通性」とは、海と宇宙のどちらの環境においても、「陸上」と比較して未解明な現象が多く存在している、という共通性です。これは前述の「神秘性」とも関係することかもしれません。
「海その”i”」の記事中に書いたように、人間がまず始めにとりかかった「研究」は、自分たちの生活(衣・食・住)に直接大きな影響を及ぼす出来事であったと思われます。
そのような出来事に興味を持ち、よく観察し、それぞれの現象の成り立ちやメカニズムを明らかにして(研究して)、そこから得られた結果・成果を利用しつつ新たな研究対象にとりくみ、少しずつ進歩しながらその研究範囲を広げていきました。
つまり、まずは直接観察することが容易な主に陸上で起きているごく身近な出来事について、観察とデータの収集・解析(=研究)を始めた人間は、非常に長い年月をかけて、道具の発明や農耕・牧畜の確立を成し遂げ、近代の科学工業の発展に至ったのです。
これらの努力は、人間が陸上で「より良く生きる」(=安全・健康で幸福に生きる)ための努力だったともいえるでしょう。
そして、これまでに得られた膨大な量の研究成果を活用して科学技術を発展させた人間は、「陸上」から「海洋と宇宙」へと研究の範囲を広げてきたのです。
今後「海洋と宇宙」に関する研究をさらに発展させる事は、私たち人間が、地球環境あるいは宇宙の環境のもとで、持続的に「より良く生きる」ために必要なことであると考えられます。
私は他の記事で述べるように、特に中学校~高校~大学に至る期間で海に興味を持ち、その結果、海に関する研究所(水産研究所)に就職したわけですが、実は大学時代に、ある「宇宙」に関する書籍に出会い、非常に感銘を受けるとともにその後の考え方にも大きく影響を受けました。
雑記の『【読書】立花隆「宇宙からの帰還」』に、その本「宇宙からの帰還」の内容や特に印象に残った点などについて紹介しました。
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