「わかりやすさ」と「正確さ」~研究の説明は難しい

情報.研究@海

研究内容の説明は難しい、、。

研究という仕事をしていると、しばしば一般の方に自分の研究内容について説明をする(しなければいけない)という場面に遭遇します。

Wakamaro
Wakamaro

実はこれが結構難しいのです

ここでいう「一般の方」とは、小学生・中学生・高校生・大学生などの児童・生徒・学生さんや、主婦、老人会の方々、新聞社・テレビ局などのマスコミの方、場合によっては国や地方の行政機関の方など様々ですが、要するに「自分が説明したい研究分野についての専門知識を必ずしも持っていない人たち」を指します。

研究内容の説明会を実施する際には、研究所の先輩・上司や管理職の方々からよくアドバイスをいただきました。そこでよく聞かされたセリフが”中学生にもわかるように説明しなさい”です。

このセリフの意図は、「中学生が知らないような専門用語は使わずわかりやすく説明しなさい」、ということでしょう。

”フムフムなるほど「わかりやすく」か、でも研究者なんだからなるべく「正確」に研究内容を紹介しないといけないよね”、などと思いながら準備をして実際の説明会にいそいそとのぞむわけですが、、、。

はじめの頃は、よく撃沈していたように思います、、。

自己嫌悪!

理由はいろいろです。聴衆の反応が思わしくない=表情が「??」という感じの人が多い、寝てる人が多い、話が終わっても質問が何一つ無い、などというのもありますが、自分自身で上手く説明できなかったなぁ、と感じて心の中にモヤモヤが充満していったことの方が多かったような気がします。

特に強敵だったのが、「小学生」!!

「中学生にも分かるように」では太刀打ちできません。使うスライドに漢字を使わずひらがなを多用、などという小細工は何の役にもたちません。そしてとにかく冒頭が勝負で、そこを踏み外せばまるで自分が超一流の「催眠術師」になったかのように、、みんな寝ます、、、。

心の底から小学校の先生って凄いんだな、と思いました。

私はこのような経験を何度か繰り返しながら、一般の方への説明という作業において何が重要なのかを徐々に理解してきました。

おそらく「正解」は無いと思いますが、この記事では、私が長い間悩み続けた結果たどり着いた「研究内容を一般の人に説明する際に気をつけるべき事」や「研究内容の説明が難しい理由」などを書いていきます(あくまで個人の感想・意見です)。

説明の「わかりやすさ」と「正確さ」

まず始めに「説明」に際して気をつけるべき重要な要因としては、やはり「わかりやすさ」「正確さ」が挙げられると思いました。

Wakamaro
Wakamaro

でもこの2つを両立させることは非常に困難です。

「わかりやすさ」と「正確さ」のバランスは難しい

「あちらを立てればこちらが立たず」という感じで、バランスを取るのが非常に難しいです。

海の現場で起きている出来事にはとても沢山の要因が関わっていることが普通で、単純に「AだからBです」と解説できることはほぼありません。

なので「正確に」説明しようと考えた場合、まず関係する要因の一つ一つについて解説を始めてしまう方向に進みがちなのです。

すると「わかりにくい!」といわれてしまいます、、。

そこで「わかりやすく」説明しようと、話を単純化したり、省略したり、例え話で説明をしたりするのですが、その結果どうしても現実に起きている出来事からの乖離かいりが生じてしまって、「正確」な説明からはズレてしまいます。

そのような説明が終わったあとの質疑で、突っ込んだ疑問などが問いかけられた場合、あらためて詳しく、正確に解説すると、「あれ?さっきの説明と違いませんか?」という事態を招いてしまう場合があるのです、、。

そこで「わかりやすさ」と「正確さ」両方のバランスを上手にとって説明することが重要だと考えられるのですが、実際にはこれがとても難しい、、。説明の準備をするたびに私が悩むところでした。

つまりこの「バランス」こそが研究内容の説明における「キモ」といっても良いのではないかと考えました。

Wakamaro
Wakamaro

それでは、説明における「わかりやすさ」と「正確さ」のバランスは具体的にどのように考えたら良いのでしょうか?

このバランスを考えるためには、聞き手の理解度(=科学的知識のレベル)について注目する必要があると私は考えました。

「聞き手」と「話し手」の間にあるギャップ

多くの場合、説明に与えられる時間は長くても数十分で、10~15分間程度が普通です。このような短時間で「わかりやすく」「正確に」説明を行うためには、余計な情報を入れることは禁物でしょう。聞き手を混乱させる原因になりかねませんし、持ち時間をすぐにオーバーしてしまいます。

ですから聞き手がすでに理解していると思われる内容については省略すべきなのですが、聞き手の人数が多くなったり、様々な年齢層の方がいたりすると、聞き手が理解している科学的知識の幅はかなり広くなってしまうことが想定され、どこからが余計な情報になるのかわからなくなります。

さきほど「中学生にもわかるように説明する」と書きました。しかしながら、そもそも説明に「正確さ」が求められるとしたら、「中学生にもわかるように説明すること」という条件を与えられるのは無茶な話のように思います。

研究者が一つの研究結果にたどり着くまでは、結構な時間を要しているはずです。また、そのために必要とされる一般的な科学知識や専門分野での知識もそれなりに多いと考えて良いでしょう。

得られた研究結果の内容を「正確に」理解するためには、これらのような研究結果の内容以外の部分についても、ある程度理解している必要があると思うのです。

これについては本ブログの「海その”i”」で紹介した「アイスバーグ理論」で説明するとわかりやすいのかもしれません。ただし、これも例え話なので正確ではありませんが、、。

水面の上に見える部分が「理解すべき研究内容」、水面下の見えない部分がそれを支える「それ以外の部分」

研究者が明らかにした、ある研究結果の内容を氷山の一角(=水面の上に見えている部分)だと考えてみます。

するとそれ以外の部分(=水面下で見えない部分)には、その研究結果の内容を正確に理解するために必要とされる様々な事柄、例えば一般的な科学知識や専門分野での知識、あるいは結果に至った過程などが存在していて、水面上の部分を支えています。そしてこの水面下の部分の方が大きいのです。

説明しようとしている研究内容に関する(水面下の部分に相当する)知識の量を比べた場合、中学生と研究者ではどうしても大きく異なってしまいます。

最近の科学は、専門分野ごとにかなり深い所まで研究が進んでいます。「中学生が持つ科学的知識」程度で理解できる内容(=支えることができる氷山の一角)にはどうしても限界があるように考えられるのです。

つまり、話の「聞き手(=一般の方)」と「話し手(=研究者)」の間には必ず知識や考え方などにギャップが存在しているので、「正確」に話を伝えることを目的として、そのギャップを10~15分程度の説明で埋めようと試みても、それは現実的には無理な話です。

知識のギャップを埋めるのには時間がかかる

説明が長くなりましたが、ここで私が考えた「説明の『わかりやすさ』と『正確さ』のバランス」の結論を示します。それは、

「わかりやすさ」>「正確さ」でした。

上述のように聞き手とのギャップが存在することは、逃れることができない現実なので、「正確さ」を過度に追求するのは諦めて「分かりやすさ」を優先するのがよかろう、という結論です。

理想的には聞き手に寄り添って、場合によっては話をしながら聞き手の反応を見つつ、臨機応変に「わかりやすさ」と「正確さ」をコントロールしていくのが良いのでしょう。

まあ、なんだかごく当たり前の結論に達したように思われるかもしれませんが、実際に研究成果の一般説明会などに出席してみると、明らかに「正確さ」を優先しているようにしか見えない発表が多いと感じるのです。

つまり聞き手のことをほぼ考慮に入れずに、ただひたすら正確さを考慮して説明を続ける発表のなんと多いことか、、、。

その結果、多くの聞き手が「催眠術」にかけられ、次々と寝ていくのです、、。

でも研究者は日常的に、実験の過程あるいは論文や学会での発表などにおいて、「正確さ」を優先している人たちなので、急にそれをやめろといわれても難しいことはよく理解できます。

なぜなら自分も過去に大勢の人々を「催眠術」にかけてきましたから、、、。

研究者は催眠術師??
Wakamaro
Wakamaro

私も含めて、理系の研究者には話をわかりやすくするということが苦手な人が多いような気がします。

最後に、このような紆余曲折を経た結果、私が研究内容の説明において「わかりやすさ」と「正確さ」以上に重要だと思うようになったことを紹介します。

それは「研究内容に興味を持ってもらう」ことです。

研究内容の説明会で本当に重要なのは?

繰り返しになりますが、いろいろな経験を重ねた結果、研究内容の説明会において私が最も重要だと思うようになったことは、「研究内容に興味を持ってもらうこと」でした。

しかもこれは説明のできるだけ早い段階で行われなければいけません。そうしないと、その後どれほど「わかりやすく」「正確な」説明をしたとしても、聴衆はすでに「催眠術」にかかって寝てしまっているかもしれないからです。

よく「結論を先に述べた方が良い」という意見も聞きます。しかし機械的にそのような話の組み立てをしても「興味を持ってもらう」ことには結びつきません。

この記事の始めに「小学生は強敵」と書きましたが、彼らはとても正直です。説明会の冒頭で彼らに興味を失われてしまうと、その後は地獄の時を過ごすことになります。

漫才などでも”「つかみ」が大事”といわれることがありますが、漫才とは分野が異なる研究内容の説明会においても、やっぱり冒頭に興味を持ってもらうことはとても重要だと思うのです。まず「催眠術」にかかる人を大幅に減らすことができるでしょう。
🔗終わり良ければ全て良し?いやいや「つかみ」の方が大事でしょ!!
(「とっしゃんのおもロジカル」より)

これは「説明」というよりは「宣伝」に近い能力なのかもしれません。あるいは「文系」の人が持つ能力なのでしょうか?

本ブログの記事『【読書】立花隆「宇宙からの帰還」』の文末で、ジャーナリストの立花隆さんは理系と文系の両方の素養を持っていたので、ジャーナリストとして確固たる地位を築かれたのではないか、と書きました。

理系の研究者の中にも時々このような能力にけている人がいて、発表を聞いて「うーん、この人凄いなぁ!」と感心することがあります。

大リーグで活躍している大谷選手のような「二刀流」の能力を持つ人なのでしょうが、実際にはそんな人をあまり見かけません。

理系と文系の二刀流?

理系の研究者でも頭を柔らかくして、普段自分がやっている研究作業の時と頭のチャンネルを切り替えることができれば、説明会の「つかみ」を改善することが可能なのかもしれません。

でも、現在研究を進めているすべての研究者にそれを求めるのは酷な気がします。なぜならそのためには、かなり研究以外の時間と努力と才能が必要とされるからです。

近年「サイエンス・コミュニケーション」という分野が注目されるようになりました。この分野で求められるのは「研究者」と「一般の人」のギャップを埋める「通訳者」の様な役割だと私は理解しています。

サイエンス・コミュニケーションは「通訳」

つまり上述の立花隆さんのような方が活躍される分野であり、多くの知識と努力と才能が必要とされる重要な分野であると認識しています。

このような人たちは、研究内容に関する正確な知識も持ちながら、それをどのように説明すれば一般の人々が「興味を持って」話をきいてくれるか、という知識や技術を持っているのでしょう。

研究所の中にもこのような役割を果たす人=「サイエンス・コミュニケーター」が必要とされるのではないでしょうか?

研究所の業務を進めていくためには、一般の人やスポンサーとなる国などに
「研究内容に興味を持ってもらう」
  
「研究の価値を理解してもらう」
  
「研究の継続を理解してもらう」
という一連の流れが必要とされていると思います。

研究所で「研究内容の説明会」が開催される理由ならびに目的として、上記のようなものがあるはずです。

各研究所にこのような「通訳者」を何名か配置しておけば、様々な場面で外部とのコミュニケーションがスムーズに進むのではないかと思います。

スムーズなコミュニケーションは重要

そのことで、「研究者」も「サイエンス・コミュニケーター」も自分が得意な分野の仕事に集中できて「いきいきと生きる」ことができます。そしてそれが研究所の業務継続にも役立つとしたら組織としても利益があるので、「三方一両損」ならぬ「三方一両得」になるでしょう。

まとめ

研究所でしばしば開催される「研究内容の説明会」で重要と思われること

まず重要なのは「わかりやすさ」と「正確さ」

「一般の人」と「研究者」の間には必ず「ギャップ」がある

一般の人への説明は「わかりやすさ」を優先

最も重要なのは話の冒頭に「興味を持ってもらうこと」

サイエンス・コミュニケーションは重要な分野

「研究者」「サイエンス・コミュニケーター」「研究所」の三方良しに

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