海に惹かれた理由

海まで5分!

初めて見た海の記憶」に書いたように、小学校時代までの私は、海に対してあまり良い印象を持っていなかったように思う。

それでも私が海に惹かれるようになったのは、小学校高学年以降に「テレビ」や「本」「音楽」などを通して間接的に触れた「海」のイメージに強く影響を受けたためであろう。

この記事では、「テレビ」「本」「音楽」のそれぞれで印象に残った「海」について紹介をする。

テレビで見た「海」

湘南の海

子供の頃から勉強より遊ぶことの方が好きだった私は、遊びながらその行動範囲を徐々に広げていった。

小学校の高学年頃になると友達と自転車で相模湖に行ったり、奥多摩の秋川渓谷に行ったり、横浜港に行ったりして、旅行気分を堪能していた。

Wakamaro
Wakamaro

「旅行」が好きだったのだ。

自分で地図を眺めながら、次は何処へ行こうか、どの道を通って行こうか、と考えているだけでもワクワクしていた。

地図を見るのが楽しみだった

その頃、日曜日の朝にテレビで放映されていた「遠くへ行きたい」「兼高かおる世界の旅」は欠かさず見ていたように思う。日本や世界には楽しそうな場所が山ほどあるけど、いつか自分が行ける日が来るのかな、と、これもまたワクワクしながら毎週楽しみにしていた。

自転車で横浜港に行ったとき、展示されている「氷川丸」を見学して船で海外に行くのも面白そうだなと思った。ご存じの方が多いと思うが「氷川丸」は昭和35年まで北太平洋航路で運航されていた大型客船である。

横浜港の氷川丸

海の上で立派な部屋に泊まれて外国に行けるのは本当に楽しそうで、「」に対する興味が高まってきた。

加山雄三さんの映画「若大将シリーズ」をテレビで見たのは、ちょうどその時期であったと思う。まず「大学の若大将」を見て興味を持ち、「ハワイの若大将」でさらにファンになった。

映画の中でも海やヨットといった題材が扱われていたが、加山さん自身が「湘南」で育ち、海が好きで「光進丸」という船を所有されていることなどを知って、湘南・海・ヨットというキーワードが自分の中に確立されたようだ。

江ノ電と湘南の海

さらにその頃テレビで見た映画に「太平洋ひとりぼっち」があった。石原裕次郎さんが主演のこの映画は、後述する堀江謙一さんが1962年に約3か月かけて小型ヨット「MERMAID」(マーメイド)で太平洋単独無寄港横断航海に成功した過程を描いたものである。

大型客船で海外に行くのもいいけど、小さなヨットで行くのも楽しそうだなと考えた私は、好きだったプラモデル作りの延長で、割り箸・竹ひご・厚紙などを材料にして、マーメイド号を模した全長30cmほどのヨット模型を自作した。

船に対する興味はますます高まり、ときどき自作のヨット模型を眺めながら、いつか自分もこんなヨットに乗ってみたいと夢をふくらませていたのだ。

本で読んだ「海」

漫画を読むのが好きだったが、本を読むことも好きだった。駅前にある区立図書館には毎週自転車で通って、2冊づつ本を借りて読むのが習慣となっていた。

今江祥智・長新太「山のむこうは青い海だった」

そのようなわけでいろいろな本を読んだが、小学生の頃に読んだ本で記憶に残っているのは、今江祥智さんの本だ。特に挿絵を長新太さんが描いたものが好きだった。文章と挿絵の組み合わせが絶妙で、絵本のようにほのぼのとした雰囲気で安心して読める気がした。

このコンビによる本の中でも、とりわけ「山のむこうは青い海だった」が一番好きだった。題名に「海」が入っているが話の中心は海ではない。恥ずかしがり屋の少年(中学生)が夏休みに母親の故郷(和歌山県 紀ノ川沿いの町)で体験した出来事を描いた本で、どちらかというと川のイメージが印象的な、おおらかな昭和の夏休みの記憶に重なる、何処か懐かしい物語だ。

夏祭りの縁日

堀江謙一「太平洋ひとりぼっち」

中学生になると、旅行に関する本をよく借りて帰るようになった。堀江謙一さんの「太平洋ひとりぼっち」も、その中の1冊だった。堀江さんは高校の部活で「スナイプ」と呼ばれる小型の2人乗りのヨットに乗ったことをきっかけにして、ヨットの世界にのめり込んでいったようだ。

2人乗りのヨット「スナイプ」

だがこの本に書かれた高校のヨット部における練習の様子は、おそらく一般の人たちが抱いているヨットに対するイメージとは違って、とにかく厳しいものだ。入部時に30人いた1年生は、1ヶ月後には堀江さんだけになっていたという。

私もその後大学でヨット部に入部した。新入生を対象とした江ノ島での「試乗会」には30人を越える人数が集まったものの、次の合宿、その次、と回を重ねるごとに人数は減り、最後は8名になった。

堀江さんの本を読んでいなければ、私も想像していたヨットのイメージとのギャップで、すぐにヨット部を辞めていたかもしれない。

本のおかげでヨット部の厳しさを予想していたとはいえ、実際にやってみると練習は想像以上にキツいと思った。それは海という自然環境の厳しさを直接肌で感じたことにもよるだろう。

入部して間もない頃、4年生の先輩からミーティングで言われたことはその後もずっと心に残っている。

ヨットに乗って海に勝とうとか、征服してやろうとか、絶対に考えるな。おまえたちは海が機嫌の良いときに少しだけ海面を使って練習やレースをさせてもらっているだけだ。

荒れる海

船に乗って海に出る人たちは、気象・海象について敏感である。台風ではなくて通常の低気圧に伴う寒冷前線通過であっても、海上の様子は一変する。こればかりは経験してみないとわからないと思うが、海を甘く見ると簡単に命を失うであろうことを実感する。

特に小型のヨットでは、危険を感じたら何よりも先に陸に戻ることを考えて、すぐに行動を起こさなければいけない。

例えば貴重な実例として、2011年の東北大震災の際に東北沿岸の宮古みやこ(岩手)、閖上ゆりあげ(宮城)、那珂湊なかみなと(茨城)、それぞれの海域で練習中だった高校・大学のヨット部員が、いかにして津波による被害を免れたか、についてまとめられたレポートが公表されている。
🔗3.11 東日本大震災における津波からの避難報告(東北セーリング連盟)

だからこそ、堀江さんが成功した太平洋単独無寄港横断航海はとてつもなく凄い快挙であると感じるのだ。実際に本を読んだときには強く感じなかったが、ヨット部に入ってから自然の脅威を知り、あらためて凄いと思うようになった。

2022年に堀江さんは世界最高齢(83歳)での小型ヨット単独無寄港太平洋横断航海を成功させた。使用するヨットの性能は格段に上がっているとは思うが、それにしても凄いことである。

北杜夫「どくとるマンボウ航海記」

そして、こちらも中学生の頃に読んだ本であるが、北杜夫さんの「どくとるマンボウ航海記」も私が海に惹かれるようになった理由の一つだ。

まずは冒頭から文章の面白さに夢中になり引き込まれ、北さんが乗船した水産庁の調査船「照洋丸」での出来事とそれにまつわるホラ話や蘊蓄うんちく、誇大妄想的な話、ときには神妙な話など、まったく飽きることなく最後まで読みきった。

この本を読んでから十数年後に、まさか自分も水産庁の調査船に乗船することになるとは思いもよらなかった。残念ながら「照洋丸」に乗る機会はなかったのだが、初めて調査船に乗船した際、本の中で記されている船の特殊用語、甲板長ボースン主席航海士チョフサー司厨長シチョージ操機長ナンバン当直ワッチなどを耳にして、やっぱりそう呼ぶんだ、と小さな感動をおぼえた。
🔗YouTube:fra_channelより

とにもかくにもこの本は、船で世界の港を巡るという当時の自分にとって最も憧れる体験を面白く描いたものだったので、何度も読み返したことを覚えている。

音楽で聞いた「海」

海に関する音楽は数多く存在するが、私の場合は加山雄三さんの歌がその中心にあったように思う。小学校時代にテレビで見た「若大将シリーズ」の映画とその中で使われた曲の影響が大きかったのだろう。このブログの題名「海その”i”」は、加山さんの「海その愛」になぞらえたネーミングとなっている。

加山さんの歌は「湘南」を感じさせるものが多かった。

いわゆる「湘南サウンド」は、加山さんのほか、ザ・ワイルドワンズブレッド&バターサザンオールスターズTube、と続いていき、ラジオやテレビ、レコードなどでよく聴いていた。

高校生ぐらいまではまだ湘南に行く機会は少なかったので、これらの曲を聴いて自分の中の湘南のイメージが作られていったように思う。

昭和50年代には、山下達郎さん、高中正義さん、大滝詠一さんなど、必ずしも湘南にかぎらず「海」をイメージさせる音楽が多くなった。大学時代にSONYのウォークマン(カセットテープ!)で聴いていたこれらの曲は、ヨット部の合宿で実際に湘南に滞在しているときに聴くことが多かった。

音楽はその曲を聴いていた時期の思い出と強くリンクするものなので、それぞれの曲を聴くと当時湘南の海で見た風景などが今でも鮮明に思い出される。

お気に入りの曲リスト
加山雄三海その愛(もちろん!)
ザ・ワイルドワンズ思い出の渚
ブレッド&バターSHONAN GIRL
サザンオールスターズ鎌倉物語
TubeSUMMER DREAM
山下達郎YOUR EYES
高中正義BLUE LAGOON
大滝詠一君は天然色

江ノ島・鎌倉・逗子・葉山

大学時代にヨット部に入部し、湘南の海を頻繁に訪れるようになった。当時の関東の大学ヨット部の多くは江ノ島で合宿・練習をして、春と秋に葉山沖で開催される「関東インカレ」と呼ばれる大学選手権大会の際には葉山(森戸海岸周辺)での合宿を行っていた。

江ノ島~葉山

毎月の土曜・日曜に江ノ島で行われる合宿と、春と秋のインカレ時に行われる葉山での長期合宿をあわせると、年間100日を越える期間を江ノ島と葉山で過ごしていた。そのため、その間にある鎌倉や逗子に行く機会も多くなった。

実際に訪れてみると、江ノ島・鎌倉・逗子・葉山は、どこも魅力的な場所だった。

同じ相模湾という海に面している場所でありながら、それぞれの場所は違った特徴を持っているように感じられた。

江ノ島は2度の東京オリンピックで使用されたヨットハーバーを持つマリンスポーツの中心地である。また、東西に広がる海岸線からランドマークのように海に突き出た江ノ島は、島の入口から江島神社まで続く参道に古い歴史をもつ旅館や飲食店、土産物店などが並び、多くの観光客でにぎわう場所だ。

江ノ島

鎌倉は江ノ島から江ノ電でつながっていて、ご存じの通り鎌倉幕府があった歴史ある場所だ。由比ヶ浜、材木座海岸から北にある鶴岡八幡宮へ向かって内陸に伸びた平地に、古い史跡、神社やお寺、住宅や商店などが数多く存在する都会的でにぎやかな場所である。

江ノ島と鎌倉を結ぶ江ノ電

逗子は基本的に住宅街のように見えるが、ヨットハーバーもあるやや落ち着いた雰囲気の場所。この辺りから、小坪漁港など漁業との関わりも感じられる場所が見られるようになる。

逗子小坪漁港

そして葉山にもヨットハーバーはあるが、この辺りからは道幅も狭くなり海岸に張り付くように南に向かって伸びていき、森戸神社や葉山御用邸など心が落ち着く静かな場所が多い。

葉山一色海岸

それぞれの場所に良さがあるように感じ、何度訪れても飽きることはなかったように思う。今は遠い広島の地に住んでいるが、時折無性に行ってみたくなるなつかしい場所だ。

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